第1回研究推進ボード主催研究会報告
”State-Civil Society Interactions from Governance Perspective: The Case of Thailand”
(「ガバナンスの視点から見る国家と市民社会のインターアクション:タイを事例に」)
発表者:藤岡 理香(Ph.D Candidate, SOAS, University of London)
コメンテーター:山崎 幹根(北海道大学大学院法学研究科助教授)
司会:池 直美(北海道大学大学院法学研究科 博士課程3年)

 

 本報告は、開発協力分野における「良い統治」が想定する国家・社会相互補完関係が、実際の開発においてどのように使われ、またどのように現状とずれているのかを、途上国(ここではタイを事例とする)の現状に照らして、検討するものである。
 そこで本報告は、(A)分析枠組みとして開発協力におけるガバナンス、「良い統治」の概念を検討した後、(B)事例研究として、タイ国村落支援政策を検討し、最後に(C)「良い統治」の想定する国家・社会相互補完関係とタイ国の事例の比較分析をする、という構成を採る。

A. 分析枠組み

(1)開発協力におけるガバナンス
 それではまず、開発協力におけるガバナンスという概念について検討する。開発協力におけるガバナンスという概念は、1980年代、国際的な開発機関において構造調整計画が限界に直面したことで、開発の経済面から政治面へ注目が集まり、主流概念となったものである。このことは1989年の世銀報告書によって、明示されている。世銀やUNDPなどでは、それぞれガバナンスの定義を提示しているが、本報告では、このガバナンスという概念を、「開発資源の管理」と定義しておく。
 続いて開発協力における「良い統治」という概念について検討する。開発協力において「良い統治」は、説明責任や法の政治、人権、住民参加などの民主主義・市場経済制度を構築することで、開発資源管理をめぐる不均衡な力関係・不平等分配の是正し、最終的に持続可能な社会・経済開発を結実させることを目指すものである。
 最後にこの「良い統治」が想定する、望ましい国家・社会関係の構築のモデルについて検討する。80年代後半から90年代前半、開発をめぐる議論において、制度改革の供給側から需要側へと開発モデルの重点が移行し、90年代後半には組織外社会の要請の強化と説明責任を求める声がより強まっていった。その結果、近年、「良い統治」において、「参加型プロセス」、つまり国家と開発受益者である社会との対話・相互補完関係、の構築によって、均衡の取れた開発を目指さなければならない、とする考えが主流になってきたのである。この考えにおいては、市民社会は社会の開発から取り残された層を参加させ、国家は「enabling environment」を創出させるという役割が想定されている。

(2)学術批判
 しかし、この「良い統治」における国家・社会相互補完関係の構想に対しては以下の2つの学術的な批判が加えられている。
 まず、(a)政治的要素への配慮が不十分、という批判がある。ここでの政治的要素とは、開発資源管理・分配をめぐる国家・社会の様々なアクター間の利害関係である。この批判では、制度的な民主主義の導入が、国家・社会間の力関係、資源配分の不均等、制度の恣意性によって阻害され、実質的な民主主義の定着に結びつかず、その結果、幅広い参加や均衡の取れた開発につながっていないと指摘されている。
また、(b)「西洋的」モデルの優位性擁護(国家・社会建設的関係)が実質的政治介入になっている、という批判がある。しかし、この批判では、「市民社会」概念が西洋史上の特定時期の特定の出来事と結び付けられているために、開発モデルにおいて幅広い利益を代弁すると想定される、広義の市民社会(教会や商工会議所などを含むもの)と一致せず、必ずしも現在の開発モデルへの批判にはなっていないと考えられる。

B. 事例研究:タイ国村落支援政策

 それでは事例研究の議論に入る。ここでの調査のテーマは、「良い統治」の理念に基づく村落支援対策(制度改革・導入)が開発資源の管理・分配の不均衡是正につながったか、である。具体的には、これは2つの項目に分かれる。ひとつは(a)タイ国において、参加型開発のプロセスが実行され、それが政治的要因へ対処し得たか(力関係・資源の不均衡要因の克服)、であり、いまひとつは(b)「良い統治」における、市民社会が社会の幅広い声を代弁して国家との建設的関係を構築するというモデルを、市民社会の欠如に対応して、村落部・コミュニティ組織へ適用し得たか、である。

(1)政治制度的・社会経済的背景
 ではまず、タイ国の政治制度的・社会経済的背景について考察したい。タイ国では、1990年代後半には国家の開発政策に「良い統治」政策が、伝統的な仏教概念と結びついたTamapibanという形で浸透した。
しかし実際の政治制度・社会経済的特徴は、その「良い統治」の理想からは乖離した状態にあった。まず、指導層エリート(政界・財界大手)へ資源管理が集中した完全な中央集権であると同時に、それを認容する社会的なコンセンサスが広くあった(”generous patron decides for its people”)。さらに市民社会概念も、都市中間層中心(狭義)と村落部組織を含む(広義)もので二分されていた。そして、この都市と村落部間では多大な格差が存在していたのであった。
現タクシン政権(2001年―)では、公式には村落地域を含む広い市民社会との直接対話・参加による「良い統治」を標榜し、開発資源の参加型管理・公正な分配を目指しているとしているが、実質的には、タイ国特有の政策決定の一極化という統治体制のなかで開発政策が実行され、開発資源が独占的に管理され、分配の偏重が起きている、とされている。

      

 

(2)現地調査―One Tambon One Product (OTOP)プロジェクト
 続いて現地調査の報告に入るが、今回はOne Tambon One Product (OTOP)プロジェクトに関する調査を行った。まず、このTambon(タンボン)とは県、郡に続く行政単位で、2村以上の村落から形成されたもののことを指している。そしてこの、OTOPプロジェクトとは、日本の大分県の一村一品運動を模範とした政策で、伝統・土地資源を生かした製品開発、品質向上、市場拡張を目指したものである。タイ国では、この政策において生産者グループを直接の主体とする共に、各行政単位の公聴会がコミュニティでの参加を促し、国家はあくまで側面支援を行うとした。そして、その目標としてタイ国は、村落部の広い経済活性化、コミュニティ内の雇用・所得の創出、団結・自立したコミュニティの確立、伝統技術保全と創造的思考奨励、人的資源開発を掲げた。
 この政策が出てきた背景としては、政府が立てた、国家競争力の強化と国内経済活性化と貧困削減という「二本立ての政策」があったと同時に、政府緊急草の根支援策が現愛国等選挙公約であったことがあった。
 また、このOTOPプロジェクトの施行体制は、大きく分けて、生産者グループとその上のタンボンからなる主導的な草の根コミュニティ(upstream)と、郡・県・国の側面支援のための政府支援組織(downstream)の2つに分かれており、前者がその活動の主体となるように構想されていた。

(3)聞取方法
 続いて、聞取の手法について検討する。まず、期間は2003年9月―2004年8月であった。手法としては、村・生産者側と政府側の双方を対象とした。これは先行研究のほとんどが、どちらか一方のみを対象としており、あまり政治社会的な考察を行っていなかったため、今回はそれを踏まえて、報告者が意図して双方を対象とした。この調査結果を元に実施体制と目標の政策と現状の比較を行った。
 聞取対象の人数は延べ約270人で、村などの選考は、開発指標統計、OTOP製品一覧を参照した。また、対象とした行政単位は、決定レベル(バンコク)、施行レベル(チェンマイ県7地区)、学術研究機関である。

(4)現地調査結果:施行体制
 ではこの調査結果について報告する。まず、このOTOPプロジェクトの当初の施行体制構想は、生産者グループを含むコミュニティ全体の積極的参加による草の根の「原動力」と、それを支える政府の補足的役割、というものだったが、実際には草の根の主体の限界が露呈され、中央主導が明白になった。
政府支援体制(upstream)においては、目に見える成果を短期間で求めた中央政府の急いだ施行や、政府の言った通りにやることが優先されてしまう実績主義、さらに生産者グループ間の「成功例」優先主義が蔓延していた。
 また、草の根(downstream)の側では、コミュニティ・リーダーシップが多極化して、相互に相違・対立を呈してしまったため、生産者グループ間の接点も薄いまま、参加の度合いがばらつき、利益の代弁も非常に限定されたものとなった。また公聴会の参加促進機能も、結局は政府による、タンボン公聴会・村公聴会を疎外した政策決定によって本来の機能を果たすことは出来なかった。

(5)現地調査結果:目標
 また、政策の目標においても、当初の構想と実情とで齟齬が生じていた。OTOPプロジェクトの当初の目標は、広範な均衡のとれた社会経済開発だったが、実情では成功したコミュニティはより積極的に参加して成功を拡大させる一方、それ以外のコミュニティは政府の援助を受身的に待ち、結果として生産者グループ・コミュニティ間の格差が拡大してしまったのである。政府によれば、総合売り上げ・知名度の向上によって全体的には成功したとされるが、現実にはプラスとマイナスの効果が偏在する形で、広範な均衡のとれた社会経済開発には失敗したと言える。

C. 比較分析:「良い統治」の想定する国家・社会相互補完関係とOTOP(タイ国)の事例

 では、「良い統治」の想定する国家・社会相互補完関係とOTOP(タイ国)の事例を比較したい。まず、「良い統治」においては、プロジェクトに成功した生産者グループも失敗した生産者グループも、開発・発展に必要な分(失敗したグループにはより多く)の政府支援を受けることで、最終的にその資源(知識・技術・市場・賃金)を、ほぼ同じレベルに拡大・開発することを構想していた。いわば、それが不均衡な資源管理・分配の是正であった。
 しかしOTOPプロジェクトでは、成功したグループはより多くの資源を市場から獲得すると同時に、政府からも獲得しており、その開発・発展をより拡大させていた。その一方、失敗したグループでは、成功したグループに市場を取られるのみならず、失敗した分の政府支援を積極的に獲得しようとせず、受身となり、その結果、開発・発展の格差は増大する結果となっていた。

 

      

 

結論(調査項目のまとめ)

(a)参加型開発プロセスは成功したか
 OTOPプロジェクトの事例から、まず次のように結論することが出来る。資源管理は当初の目標に反して、中央政府に集中する形となり、地方自治体や住民の政策への参加も限定されたものになっていた。その結果、タクシン政権下では支持体系が一律化し、権威の集中が起きた。さらにこのプロジェクトが選挙公約であったことから、成果の誇示を求め、政府の思惑に沿うところに集中支援し、従来の資源の不均衡状態を保持する結果となった。また、「成功例」は積極的に自主自立して参加し、「未成功例」は更なる政府への受動的依存に陥った。つまり、以上から分かるとおり、このプロジェクトは既存の不均衡な力関係、不平等な分配の是正において、限界を露呈する結果となった。

(b)市民社会が社会の幅広い声を代弁、国家との建設的関係を構築し得たか
 OTOPプロジェクトの事例からは、次のように結論できる。まず、生産者グループ(プロジェクト支援対象)は、現実にはメンバーないし少数幹部のみの利益の代弁をしたに過ぎなかった。この代弁された利益はコミュニティ全体の利益との協調する点が少なかった。また、市民社会の参加を促進するはずだった公聴会は政策決定から疎外され、強化のための支援もなく、機能が限定される結果となった。その結果、村落部広範な利益を表明する”voice”(告発ないし抗議)の強化にはつながらなかった。これは想定される市民社会の役割との決定的な相違であった。

 では、「良い統治」の理念に基づく村落支援対策は、開発資源管理、分配不均衡是正の可能性を持っているのであろうか。OTOPプロジェクトの事例では、国は政策を形式的に表明するに止まり、現実には開発資源管理を独占し、”generous patron”として政策を施行していた。また、社会(村落部)の方でも、全般的にはタクシン政権を支持し、「西洋的な」良い統治を求めているとは限らなかった。これはつまり、積極的な開発プロセスへの参加を望んでいるとは限らないことを意味している。そして、地域に根ざす組織が、コミュニティ全体と協調関係にある利益を代弁するとは限らなかった。
 以上のことから、「良い統治」は既存の開発資源管理をめぐる力関係・分配不均衡を温存すると同時に、助長する傾向があり、資源の再分配の効果には限界があることが明らかになった。
 しかし、社会は上からの開発には概ね賛成しており、その下位のコミュニティに対して外部からやり方を変えるようには言えないであろう。したがって我々は、各地域の社会的な特質を認識した上で「良い統治」に基づく、国家・社会相互補完関係の構築を目指していく必要があると言える。

 

      

 

コメンテーターのコメント:山崎幹根 氏(北海道大学大学院法学研究科助教授)
(1)ガバナンス概念の妥当性に関する質問
〔ガバナンス概念登場の背景〕公共政策を担う主体はこれまで一枚岩的ないしピラミッド的なガバメントであった。しかし近年(80年代以降)、様々な側面から、公共政策供給の主体の見直し、主体の多様性が主張されてきた。この統治システムの変化が、ガバナンスが登場した第一の背景である。
 また、それまではケインズ主義的福祉国家政策をガバメントが統制するという構造で、これは開発経済の分野でも同様だったが、近年、内発的発展が主張され始めた。そのために外部からの資源の供給ではなく、むしろ身近にある資源(ヒト・モノ)が近年、着目されるようになった。結果、政策の担い手は必然的に地方自治体や地域のコミュニティ・リーダーになっていった。この政策の中身の変化が第二の背景である。
〔質問〕ガバナンスの失敗におけるレスポンシビリティとアカウンタビリティはどうするか。ここでもう一度、ガバメントのあり方が見直されるのではないか。この点をどのように報告者は考えるか。

(2)タイの政治についての質問
 本報告は、日本の地域開発政策などにも見られるような普遍的ファクターがある。古くは、フィリップ・セールズニック(米・社会学者)によるニューディール政策のグラスルーツ・ドクトリン批判(自己利益誘導の問題)がある。では、タイの現代のガバナンス変容の特質をどこに求めればいいのか。
 元々タイは開発独裁であった。それが現在では法律制定などに見られるように、地方自治へ変動している。地域リーダーの変容なども含め、変容の特質をどう見ていけばいいか。

コメンテーターへの報告者による回答
〔(1)への回答〕ガバナンスの失敗のレスポンシビリティ、アカウンタビリティに関しては、まだ明確な答えは無い。ただ、政府や官僚の責任を問うことは現在困難である。というのも、地方自治まで中央の権力が浸透しており、地方から中央の責任を問うことが出来ない構造になっているからである。
〔(2)への回答〕そもそもタイは、80年代になってようやく軍事政権が弱まり始め、90年代初め、ついに民主化へ強く動いた。住民が選挙などで地方自治に参加できるようになってきたのは、90年代半ばであった。残念ながら、地方自治はタクシン政権で縮小し始めている。とはいえ、現在でも都市部は説明責任に対して敏感だが、地方は異議を唱えることはまず無い状況にあり、タイは二分化していると言える。
 地方自治の担い手に関してだが、OTOPに関する限りでは、地方のコミュニティの長(タンボンの長、村長)は積極的に参加してはいない。ただし、生産に関わっていれば別である。

 

フロアからの質問
Q. Tamapibanと西洋的「良い統治」との相違点はないのか。
A. 誰が政治を担うか、で相違がある。Tamapibanでは一人の人が担っても良いが、「良い統治」では基本的に、市民社会における活発な意見交換が想定されている。
Q. そうなると、Tamapibanに基づいて考えると今回の政策(OTOP)はうまくいったということになるのか。
A. 社会的公正を必ずしも達成していないので、これは必ずしも当てはまらない。
Q. タクシン政権をTamapibanで正当化しうる可能性はないか。
A. 現在ではむしろそれに反しているとする意見が強まってきている。

Q. 〔意見〕私はタイの出身なのだが、農村部でのTamapibanの解釈は報告者の言うとおりだが、都市部では「良い統治」がその概念に流れ込んでいると言える。
〔質問〕(1)この開発資源の不均衡状態、利益誘導といった問題はタイ特有なのか。また、(2)農村部は将来西洋型のコミュニティ(構成員が平等に積極的に参加)になりうるのか。
A. (1)多分、幾つかの要素は他の国においても共通しているだろう。(2)村長の権威は近年落ちている、というエピソードは聞いた。したがって、そういう傾向にはあるのだろう。その一方、OTOPにおいてはタイの人々はリーダーを求める傾向にまだあり、西洋型のコミュニティはまだ遠いであろう。

 

      

Q. 普遍的な「良い統治」というものが何か、報告者の中にあるか。
A. 普遍的なものはなくていいのではないか。

Q. タイの村やタンボンの規模について。
A. 村も何百人から何千人、タンボンも3つ村があるところもあれば20個以上村のあるところもある。
Q. 市場の競争を通した均衡ある発展はOTOPで可能なのか。これに関わり、未成功のところに厚く支援をし、成功のところに薄く支援をすることで、均衡ある発展は有り得るのかお聞きしたい。成功・自立と未成功・依存に因果関係があるのか。社会資本の議論もあるが、それについてどう考えるか。
A. 企業家要請には向いているが、均衡ある発展には確かにこの政策は向いていない。また、現在の成功者は確かに既に基盤(市場、技術、資金力、忍耐力・発想力のある人材など)があった人がほとんどであったということは確かである。ただしタイの場合、社会資本というよりリーダーの資質に依存しているのではないかと思う。結局、コミュニティの性格によって支援政策を変える必要があるだろう。

Q. タイに援助は必要か(経済的にもう自立可能ではないか、政権の腐敗を永続化させはしないか)。また、農村間や都市と農村間のexit(退出)状況についてお聞きしたい。
A. 確かに利権争いの増加などもあるが、山間部では、まだ援助が必要な深刻な貧困状態が存在しているから、必要と言えるのではないだろうか。出稼ぎなどの増加あるが、しかしOTOPによってexitが増加したということはない。

Q. Tamapibanによってタクシン政権を批判する人々は、都市の人々なのか。
A. タイには社会全体に対する”resource person”がいて、彼らがタクシン政権を批判している。ただし彼らは西洋的価値観に従って批判をしているのではない。

 

      

 

司会者のコメント:池 直美 氏(北海道大学大学院法学研究科博士課程)
 韓国でも幾つかの共通点があったことを感じた。韓国では軍事独裁から民主主義を勝ち取ったという自信が現在の幾つかの運動につながっているように、タイでも同様のことが起こっていくのではないかと思われる。また、西洋的なものを取り入れながらも、韓国独自のものを作り上げているという点でも、タイとの共通点が見られる。